30歳になる雑感
こんにちは、yupocoです。
先日30歳になりました。
せっかくブログをやってるので、なんとなく思うところを記録することにしました。
オチもなんもない文章をつらつらと書いて行きます。
確か28歳になったときだったと思うのですが、
「あ、いよいよ30歳が本格的に近くなってきたぞ」と思いました。
本能的に自分でもよくわからない焦りを猛烈に感じた反面、理性の部分で「いやいや、29歳から30歳になる瞬間だって、毎年迎えている誕生日と同じで1つ年齢を重ねるだけだ」と言い聞かせる自分がいました。
そこから2年ほど、慎重派(?)な私はゆっくりと30歳になる心の準備をしながら過ごしてきたように思います。
同時に、そのタイミングで世の中はコロナ一色になりました。
特に2020年の春頃はテレビ収録が滞って、過去の番組を再編集して放送する番組がとっても多く、毎日見ているつもりの芸能人が数年前と比べてだいぶ印象が変わっていることに愕然としたり、当時の自分自身のことも芋づる式に思い出して感傷に浸ってしまったりして、「歳を重ねるということ」について思いを巡らせることにドライブがかかることになりました。
こんなことを書いていますが、別に何か具体的な行動をとったわけではありません。自分の心の中のテーマとしてそれが常にあった、ということで、目に見える成果のようなものは残念ながら無いと思います。
でも、この2年が無駄だったわけでは無くて、この焦りのような感情は消えないんだねぇ、と受け入れることができたように思います。
20代が終わって30代になる。年齢の10の位が変わる。
10代から20代になったときは何とも思わなかったのになぁ。
こんなに未熟なのに、何も成し遂げていないのに30代になってしまうのが怖いのか何なのか、あまりに漠然とし過ぎていて自分でもよくわかりません。
可能性がどんどん閉じられていくことに対する悲しさかもしれない。
ただ、ここで腐っているのはとても勿体無いと思うんです。
私がいつまで生きられるかは分かりませんが、10年後とか20年後の自分は今よりもっと歳をとっているわけで、残りの人生の中でいえば今日の私が一番若いんですよね。
たぶん、80歳の私からみたら、30歳ってなんでもできたなぁ〜って思うんだと思うんです。
そんな30歳の私が、20歳だったときを思ってしょんぼりしているのは、この時間が超もったいないなぁ…と。
でも、今こうして感じている感情は今だけのもので、それも大事にしたいとも思うので、こうやって文章を書いています。
話は変わりますが、コロナ禍になってから学生時代の同期と頻繁にオンラインで遊ぶようになりました。
学生時代のような頻度でおしゃべりをするものですから、1年に1度の同窓会で交わされるような表面的な話では無く、転職、婚活、妊活など、それぞれ抱えるものは違えど、この世代ならではの悩みを共有することができ、この世界になってからの予期せぬ救いとなっています。
同級生ですから、基本的にみんな今年30歳を迎えました。
そのメンバーの中では私が一番誕生日が遅かったのですが、この言葉にしにくい焦燥感のようなものをふんわり吐露したときに、皆まで言わずとも気持ちを理解してもらえたことが嬉しかったと同時に、あぁみんなそうなんだなぁと安心もしました。
厳密に言えば、本当に「みんな」同じではないと思うのですが、今でも関係を続けている友人というのはある程度感性に近しい部分があるということ。
そういう人と分かり合えるというのは、事実が何か明るい方に行くわけでは全くないけれど、すこしだけ気持ちがあったかくなりました。
もっというと、世の中の諸先輩方もみんな(みんなといっても厳密にみんなでは無いと思うけど…以下省略)そうだったんだ、と思うと安心するし、世界に対してもっと心を開いてもいいのかなぁ、なんて気分にすらなったりする。
焦りの気持ちの要因には、母が私を産んだ歳になった、というのもあると思います。
幼少期の記憶がない期間はあるものの、母の30年間の変化?成長?というか時間の過ぎ方を、私はすべて知っています。
私が30歳になったということは、私が見てきた彼女の変化が、これから私に起こるということ。それはなんだか、自分の人生の先が知れているようで、今までの人生とは違うステージに入ったかのような不思議な感覚に囚われているのですね。
さて、私の文章スキルではなかなか言葉にできない感情を、できるだけ言葉にしてみようという試みもここで終わります。
おめでとう私。あと母ちゃん、母業30周年おめでとう。