【やったー】みんなの「推し」特設サイトに掲載してもらった!
こんにちは、yupocoです。
少し前に開催されていた「特別お題キャンペーン わたしの推し」に参加したところ、
「みんなの「推し」特設サイト」に記事を掲載して頂きました。
数十〜百くらいの掲載がある中なのですが、ブログはじめてすぐ人間には嬉しい出来事です。ありがとうございます。
内容としては、「推しを人と共有すること」について思うことと、今推しであるハライチについて書きました。
その後、友達とオンラインでおしゃべりをしていて偶然似たような話題になり面白かったので、こちらも記録として書くことにします。考えたことをつらつら書いているだけの文章になります。
推しを人と共有したいかどうか
とりとめのない会話をする中で、友人Aが「好きな音楽の話は積極的に友達と語り合いたい」ということを言っていました。
そう言われて、「あ、私は音楽に対してそういう感情を持っていないなあ」ということを初めて考えました。
むしろ、本当は話したくないと思ってるくらい。
他のトピックに対してはどうだろう?
小説(特に純文学寄りのやつ)も本当は話したくない。
ドラマや漫画は、積極的には話さないけれど、趣味が合うと分かってる人とだったら話して盛り上がるのも好きだなぁ。
ドラマのなかであの俳優さんの演技が最高だった、とか、あの女優さんの役がハマり役だった!っていう話は饒舌に語りがちだな。笑
みなさんはどうでしょうか?
自分が自分の好きを上手に言葉にできないジレンマ
今書いて行ったように、私とてすべてのことを喋りたくない、というわけではないみたいです。
じゃあその違いはなんだろう、どうして喋りたくないものがあるんだろうと考えたら、自分がその魅力を上手に語れないのが嫌だからだと思いました。
小説は、言葉にできない感情をどうにかして言葉として表現するもの、なんて言われることがあります。
ですから、それがどのように良いか、を言葉にするのもとても難しいわけです。
そして私には作家さんのような文才がない。
思い返してみると、共通の推しを持った人と話をすると、
「あの曲(本)いいよね」「うん、良いよね」と言う短い文章の中に、
お互いの好きがぎゅっと凝縮されたような会話が多くなる気がします。皆までは言うな…みたいなね。(あ、そういう意味ならお話しするの好きだわ)
逆に、その凝縮されたものを本気で言葉にしようとしたら、「ちょっと待って本気出すから時間ちょうだいね…」となりますよね。
そう言う意味ではブログは、文字数制限なく好きなだけ推しについて語ってくださいハイどーーぞっ!という場として最適だなぁ、とも改めて思いました。
まとめ
前回の記事に、同じ推しを持つ方と話す時は相手に敬意を持って…と書いたのですが、
自分の好きな気持ちを下手な文章に落とし込みたくない、という意味で
自分自身に対しても同じようなことを考えていたようです。
友人との何気ない会話の中から得られた発見でした。